まあ、決してネタが無かった訳ではないのですが、年明から社内の部署が異動となりまして、何かと気苦労が多い部署で四苦八苦しており、帰宅後にブログアップする気になれずに、ついつい時間が経過した次第です(笑)。
さて、近々2週の週末ですが、関東地方は数十年ぶりの大雪に見舞われて、バイクで出かけることも出来ず、悶々とするなか、雪かきで体中のそこ彼処が軋んでおりました。
この週末はウチの大木もこんな有様になっております(苦笑)。
そんな訳で出かけることも出来ませんでしたので、古いアルバムを整理しておりましたところ、懐かしいレーシングマシンの写真が出てきました。
さて、この写真は一体何処で、何のレースでしょうか。
実はこの写真、1976年に富士スピードウエイで開催されたF1日本GPの写真です。ちょうどスタート前に各車がグリッドに並んだところです。
当時、私自身は中学生でしたが、ちょうどスーパーカーブームの最中であり、免許も無いのに車が大好きで、また、レースも大好きで、よくテレビでGCレースなんかを観ておりました(笑)。
当日はとんでもない大雨で、とてもレースができるような状況ではなかったのですが、時間を繰り下げて強行決行となりました。ご存知の方も多いと思いますが、この年、日本で始めてF1が開催されました。
この年はディフェンディング・チャンピオン Ferrari のニキ・ラウダが2連覇を目指しておりましたが、ドイツGPでの大クラッシュにより2戦欠場となり、その間に McLaren のジェームス・ハントがポイントを積み上げ、最終戦の日本GPでチャンピオンが決まる一戦でした。
これは、#11 McLaren M23のジェームス・ハントと、優勝した#5 Lotus77のマリオ・アンドレッティの雨中のバトルシーンです。水しぶきが当時のコンディションを物語っていますね。
いやー、それにしてもカッコ良いですね。
これは途中でリタイヤした #1 Ferrari 312T2のニキ・ラウダです。
ラウダは2周で自らリタイヤし、3位に入ったハントがチャンピオンとなりました。
#19 Surtees TS19 のアラン・ジョーンズです。まあまあの流し撮りでしょうか(笑)。
このチームからは、#18で高原敬武が出場しておりました。
当時、日本人選手として、#18 Surtees TS19の高原敬武、#21Williams PW05の桑島正美、#51 KE007の長谷見昌弘、#52 Tyrrell 007の星野一義が出場しておりました。
最悪のコンディションの中、ファステストラップは何と長谷見選手がマークしております。
この時代のF1はFerrari 312T2のフェラーリ製エンジン、Ligier JS5のマトラ製エンジン、Brabham BT45のアルファ・ロメオ製エンジンがオリジナルのV12エンジンで、それ以外のマシンは全てフォード・コスワース製DFVのV8エンジンだったので、マシンの性能がイコールコンディションに近く、ドライバーの腕で勝敗が競われていたので、今より面白いレース内容でした。
F1日本GPは翌年1977年にも同じ富士スピードウエイで開催されましたが、Tyrrell P34 のロニー・ピーターソンとFerrari のジル・ヴィルヌーヴの第1コーナーでの大クラッシュにより、観戦者の方が亡くなる事故が発生し、それ以降中止となってしまいました。
1987年の鈴鹿サーキットでのF1日本GPまで、10年あまり日本ではF1が開催されませんでした。
当時、私の一番好きだったマシンはやはりコレ、McLaren M23でした。
下の写真は、1977年(昭和52年)10月16日に晴海の国際見本市会場で開催された、第7回東京レーシングカーショーで撮影したものです。
ご覧の通り、ジェームス・ハントが乗っていた車両そのもです。ハントのヘルメットも一緒に展示されておりました。
当時、大好きなMcLaren M23や、これまた大好きだった異色のGCマシン、紫電77が展示されるとの事で、喜び勇んで晴海まで自転車で出かけたのを覚えております(笑)。
McLaren はこの後のM26も好きでしたが、やっぱり一番はM23ですね。
コレは日の丸マシン、コジマ・エンジニアリングのKE009ですね。
1976年のKE007に続き、1977年の日本GPに出場しておりました。KE009には星野一義選手と高原敬武選手が乗っていました。
この車両は、これまた当時大好きだったGCマシンで、その中でも異色のマシンであった紫電77です。会場で見てビックリしたのが、クローズドトップのボディのはずが、オープントップになっておりました。紫電77はこの翌年に、紫電改としてオープントップになるのですが、これはその車両ともコックピットの形状が違います。ゼッケンにRが付いているので、スペアカーなのでしょうか。
当日はスタイル抜群だったクローズドトップの車両を期待していたので、チョッと残念だったことを思い出しました(苦笑)。まあ、それでもやっぱりカッコよいですねぇ(笑)。
この車両は、1977年にGCに出場していた、清水正智選手の#33 Vitalis7000 Marchです。
当時のGCはほとんどがこのようなオープントップスタイルでしたので、先の(クローズドトップの)紫電77はホントに異色のマシンでした。
このショーの当日はレーサーの方々によるサイン会も開催されており、長谷見昌弘選手、高橋国光選手、寺田陽次郎選手、桑島正美選手からサインを貰いましたっけ(笑)。
ちょうど今月より、「ラッシュ/プライドと友情」という映画が封切になりました。
Ferrari のニキ・ラウダと McLaren のジェームス・ハントを主人公にしており、まさに先の1976年の出来事などをモチーフにした映画です。
これは絶対に見に行かねばなりませんよね(笑)。
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